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村口きよ女性クリニック

女性の身体についてエッセイ集

更年期、性の相談「前編」

(「現代のエスプリ 性の相談」(平成16年1月1日発行)に掲載)

はじめに

 更年期は女性にとっては閉経の前後五年間、平均的には四十五歳から五十五歳までをさしており、卵巣機能、生殖能力が減衰し終止していく過程である。この時期、女性は急速な身体的性機能の老化に止まらず、一人の女性としてアイデンティティそのものが大きく揺さぶられるような事態に遭遇することも多い。社会的には更年期と言えば、「空の巣症候群」「くれない族」「妻たちの思秋期」などに象徴されるように、なぜかマイナスイメージが強い.三十年間産婦人科という医療現場に身を置いてきた筆者にとっても、更年期は女性にとって、ひいては男性にとっても容易ならざる時期であることを実感する。多くの女性は就労の有無に関係なく、結婚、出産、子育て・・・、走り続けの成熟期の後に迎える更年期に子ども、夫、親とのこと・・予想もできなかった多くのことに出会う。そのなかでも夫婦間の問題は大きなウエイトを占めており、ボタンの掛け違いも長い期間かかって熟成されてきたがゆえに解決の糸口が見えないことも多い。夫婦の関係性の問題は、客観的には二人のセクシュアリティの相克であるが、当事者間でも問題の所在を十分意識化、問題視できない場合も多く、「性の相談」として第三者の介入が成立するケースはいまだ少なく、また女性側からの一方的相談に終始することも多いのである。

一、更年期とセクシュアリティ
1)日常診療のなかにみる更年期の性の問題

 産婦人科の日常診療で、「更年期障害」「おりもの」「性器のかゆみ」などを訴えて受診する更年期の患者さんのなかには、とりたてて性の問題を訴えることがなくても、夫婦の関係性そしてセックスの問題が背景にあることがとても多い。ケースを紹介しながら、性の問題、更年期のセクシュアリティについて考えてみる。

Aさん51歳主婦、夫51歳

 Aさんは子宮筋腫の手術をうけ、その際両側の卵巣もとる。その一ヶ月後から、のぼせ、不眠などの症状を訴えるようになり、手術から約一年後、ほてり、発汗がひどいとのことで来院した。この一年間は何回も救急車で他の病院に運ばれたとのことであり、血液、心電図など検査上は異常を認めず、その度に更年期のためだと言われ続けてきた。
Aさんの生活背景について尋ねると、夫は糖尿病のため食事療法中であり、夜十時には先に寝る。Aさんはきちんとしないと気持ちが落ち着かないので,全ての家事を終え十二時ごろに寝る。そして朝四時には起き、夫、長男とその嫁、次男の四人分の弁当を作る。三年前から性交渉は無いとのことだが、一見してそのことで特別悩んでいる様子はない。
Aさんは家事など家の中のことは自分の仕事と心得、役割意識に忠実であり、大家族のために献身的に働くという長年の習慣は軌道修正が困難なほどに彼女の体と一体化しており、自分自身の原点であるはずの夫婦関係を風化させていることに気付かず、夫も病気のためにそのことを問題にしない。

Bさん53歳、夫51歳

 夫婦で自営業のBさんは、おりもの異常で来院し、診断はトリコモナス膣炎であった。セックスで移ることで知られる性感染症である。「夫婦二人で薬を飲んでください」と2人分の薬を処方したが、夫は三日間飲んだだけとのことだった。(もうずっとセックスは無く)「もうあんたに貸してもらえないから」と夫は薬を飲むのを中断した。閉経になってからセックスが嫌になった。「イライラする、蹴飛ばしてやりたくなる」と辛辣な言葉が飛び出した。夫は「相手の気持ちを考えたことがあるか(つまり夫自身のこと)」というがBさんにも言い分があって、「自営で土地のことなどゴタゴタしていてその気になれない」と言う。夫婦の日常の意識、意見の違いを引きずったまま夫婦の心の距離はどんどん離れていく。

Cさん45歳、夫48歳、共働き夫婦

 外来診療の折りに見せられた患者さんのメモから日曜日の夜、長い一日が終わり、二人で向き合いたいと思った。・・・夫はさっさと寝てしまった。朝になって夫が求めてきた。食事、子供の弁当の世話に急き立てられ、私はそんな気持ちになれない。二人の性愛は噛み合わない。・・・満たされない日々が流れ・・・夫は酒を飲んで楽しい気分で深夜帰ってきた。求める夫、私はその気になれない。「駄目よ!」「時間は取らせぬ!」この一言で私の心は凍りついてしまった。(君は何時になったらこのパターンから抜け出せるのか、展望のない日々・・・)
 「男は仕事、女は家庭」の性別役割の生き方は男性優先の意識を刷り込み、性愛の場面をも支配してしまう。その呪縛から解放されない夫婦の悲哀がとても歯がゆい。

Dさん58歳、夫60歳

 Dさんは某私立大学の要職にある方に請われ21歳の時から秘書を務め定年まで大学職員として働いてきた。Dさんは外陰部の異常、違和感を訴えて受診したが、それまでに何人かの医師を転々としてきた。診察しても特に問題と思われるほどの所見はなかった。ホルモン補充療法を薦める一方で、本人の希望もあって外用薬を処方した。定期的に通院するようになって、ある時ふと漏らした一言は、夫以外の男性とのセックスの後で外陰部に異常を感じ心配で外用薬を塗ると言う。
 Dさんは25歳の時職場結婚をし、その二年後長女を出産したが、そのころから夫婦仲は傾いていった。ほとんどセックスレスの状態であったが、職場での立場もあって離婚はできないままに長い時間が流れ、Cさんは五十歳を過ぎてまもなくの頃、ある男性と出会い恋仲になった。「私はずるいのかもしれない」とも言いながらも、ようやくお互いの心の領域に踏み込まずに夫との共同生活ができるようになった。Dさんはいままでのいくつかの出来事を繋げていくと夫は同姓愛者であったと確信できるようになった。仮面夫婦の背景には多様な性を認めない社会の中に生きる男女の深い悲しみのエピソードが隠されていた。
 これらのケースは診療の中で出会った患者さんの一端ではあるが、性はまさに夫婦の生き様、家庭、家族関係のなかに、人間生活が織り成すすべてと深く関わっていることがわかる。性別役割分業の生き方が男女の性を分断していく様、男性主導の一方通行的性が女性の性成熟を阻み男女の性が乖離していく様、また男性自身も勃起、射精のパターンを越えられぬまま、病気や老化による女性側の一方的撤退などから自らの行く手を阻んでいく様、多様な性の生き方が市民権を得られない社会に生きる人間の葛藤、欺瞞、裏切り、男女の闘い、悲哀のシンフォニー・・・が交錯し、性は容易には語れない、あまりに重すぎるテーマであり、結婚という社会制度の中で男女がよりよく性成熟していくには、実に幾多の課題がある1)ことを教えている。

2)調査結果からみる更年期の性

 日本の家族は夫婦の伴侶性が乏しいといわれてもきたが、夫婦の性の調査は極めて少なく、ほとんどが性的欲求やセックスの回数、生理的機能についてのデータなどで、男性側の視点からのものである。性は関係性を中核にして成り立つものであり、社会的、歴史的にも男性主導の社会を軸として展開されてきた日本においては、一方で戦前からの家族制度の縛りが男女の心の深層に沈殿しており、そうした男女の不平等、非対等性に向き合わなければ、性の問題の解決のみちすじ、方向性は探れない。日本人男女の関係性に大きく踏みこんだという点で、一九九九〜二千年に行なわれた荒木らセクシュアリティ研究会の「熟年世代のパートナーシップと性」の調査2)3)は画期的であり、その結果は極めて注目される。
 熟年世代では性交渉が一年間全くなかった人は、男女とも約四分の一を占め、その性交停止年齢は女性五十二歳、男性五十七歳であり、女性は閉経後ほどなくである。またその理由について、女性は「自分の関心の喪失」(55.1%)「相手の関心の喪失」(36.1%)「自分の性交痛」(26.5%)、男性は「相手の関心の喪失」(49.0%)「自分の関心の喪失」(28.8%)と答えている。男女とも「関心の喪失」が大きく、とりわけ女性が突出しており、夫婦の性の後退が女性側の撤退に引きずられた結果であると推測される。また、望ましい性関係について性交渉を伴う愛情関係とする者は、女性ではは四十歳前半でも52.6%に過ぎず、それ以降50%を切り、五十代後半から急減し20数%になる。一方、男性では六十代前半まではほぼ60%台をキープし、50%を切るのは六十代後半以降である。更年期を境に男女の性欲、性的ニーズは急速に乖離していく。こうした結果について、荒木は多くの女性が性生活を魅力あるものと思えないからと考察しており、その背景に「性についての保守的な考え方」「男性中心の性交渉」「性的コミュニケーション不足および乏しい性知識」「スキンシップの乏しさ」」を詳述しており、性をめぐる課題を提起している。まさにそれは社会体制のあり方、男女の生き方、ジェンダーバイアスにメスを入れることでしか、男女がよりよく性成熟できるためのセクシュアリティの形成は展望できないことを示唆したとも言える。

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